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プログラム
youtube チャンネル「刀剣庵」の講師むーやんによる刀剣の講義です。
日本刀5振りを鑑賞します。
鑑定士のむーやんによる特別講義を限定5名の少数で受講することができます。
出演者
youtubeチャンネル 「刀剣庵」出演講師
鑑定士:むーやん
みどころ
【講義に使用する鑑賞刀】
■虎徹
紹介動画:https://youtu.be/J0UGD7RPYuc
慶長10年(1605年)頃、現在の滋賀県である近江国の生まれで、甲冑の名工として金沢で活躍していました。
しかし、太平の世となり甲冑の需要が減ったためか、50歳を超えてから江戸に移住、刀鍛冶に転職しました。
兜や古釘などの古い鉄を溶かして刀を作り、その古い鉄の処理に関する自信からか、初期頃は「古い鉄」と書いて「古鉄入道」と名乗っていました。
しかしのちに「虎に母を殺された李広という男がいた。虎だと思って矢を射たところ、それは虎ではなく石だったが、その威力で石が粉々にくだけた。憎い虎を倒すという一念があれば、石をも徹することができるのだ」という故事があるのを知り、「とらにてっする」と書いて、同音の「虎徹」に改名したと伝わります。
本作の「乕」の字は見慣れない漢字ですが、みなさんの知っている「虎」の略字体です。
この略字体を使用した虎徹については、動画内で解説しております。
■法城寺正弘
紹介動画:https://youtu.be/kV4loJDG32c
正弘は、貞宗三哲の1人である法城寺国光が属した但州法城寺派の末裔です。
本名を滝川三郎太夫と名乗り、現在の兵庫県北部である但馬国から江戸に移住、江戸法城寺派を興しました。
作風は虎徹に似た刃文を焼くため、虎徹に非常によく似ており、銘を潰され虎徹の偽銘を切られ「偽虎徹」として流通していたとも伝わります。
これはつまり、虎徹同様、大変優れた刀工であったことを示しています。
また、江戸石堂派とも関係があったと言われています。
■於武州江戸越前康継以南蛮鉄(初代)
紹介動画:https://youtu.be/2UzeyQaVoqk
初代康継は、現在の滋賀県である近江国長浜市下坂に生まれ、慶長年間の初期頃(1596年前後)に現在の福井県である越前に移り住んだと言われています。
このとき、徳川家康の次男である結城秀康のお抱え鍛治を勤めたと伝わり、秀康の勧めにより家康と家康の三男である二代将軍秀忠に召されて江戸で鍛刀を命じられました。
作刀の腕を認められたことから、それまでに使用していた「肥後大掾下坂」の銘から家康の「康」の一字を賜って「康継」と改銘、さらに葵の御紋を切ることが許されたと伝わります。
以降、江戸幕府のお抱え鍛治として、幕末まで「康継」の名を継承・活躍した刀工家系となります。
■和泉守藤原兼重(附拵)
紹介動画:https://youtu.be/saxvAyRan00
剣豪宮本武蔵の口添えにより武家の藤堂家のお抱え鍛治になったと伝わります。
試刀家である山野加右衛門永久・勘十郎久英親子による金象嵌 裁断銘が多く残されており、自身の作刀に裁断銘を継続的に施した第一人者でもあります。
作風などから虎徹の師匠と目されており、また裁断銘が多く残っている大和守安定、法城寺正弘、三善長道などには兼重の鍛えの特徴があることから、直接、または虎徹や山野家を通じて、兼重の鍛刀技術が伝播したと見られています。
■大和守安定
紹介動画:https://youtu.be/0-Fqa5pfpok
安定は、江戸時代前期、武蔵国の刀工です。
二代康継の門人になったとも、また虎徹の師匠でもある和泉守兼重の門人になったとも言われています。
お問い合わせ先
お問い合わせフォームURL:https://t.co/52UxeDWiKV
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