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プログラム
昭和46年10月16日、沖縄返還協定が審議される第67回国会が始まった。
沖縄で繰り返される「沖縄返還協定扮!」のデモやストライキの報道により、多くの国会議員が、
「沖縄の人たちがそこまで反対するなら無理してまで批准する必要必要が無いのではないか。」
と思い始めていた。そのようなことを沖縄の人たちはつゆ知らず、復帰は決まったものだと信じ切っていた。
東京から返還協定批准の危機の電話連絡を受け取った女性がいた。
小学校の教師 仲村俊子である。
「仲村先生、沖縄の復帰が危なくなったよ。喜屋武真栄先生が一人ひとり、返還協定に反対してくれ反対してくれと行って回っているよ。」
電話の相手は、尊敬する教育者菊池藤吉氏であった。俊子は思った。
その結論は、「大会を持とう!」「上京陳情団を編成しよう!」
10月31日、那覇市の与儀公園に早期復帰を願う県民が1000名があつまった。
沖縄返還協定批准貫徹大会が開催された。
そこで、返還協定の早期批准を求める決議が採択された。
11月3日、実行委員会は、俊子ら、上京陳情代表団8人を派遣した。
俊子は、沖縄県民の思いが込められた、決議文を携えて、神に祈り、天に祈り、地に祈り、「沖縄が復帰できますように」という思いで東京に向かった。
危機に陥った沖縄返還協定の批准の貫徹を願い、その実現に命をかけた沖縄の市井の人たちの物語が蘇る。
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