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プログラム
〜 与謝野晶子 松戸来遊100年 〜
うすものはタンゴを踊る細腰に
薔薇は眞白きたなぞこに見ん
与謝野晶子『瑠璃光』(1925)
大正昭和に咲いたタンゴの名曲より
♪ La Cumparsita(1917)
♪ Palomita Blanca(1929)
♪ El Huracán(1932)
♪ La Yumba(1946)
♪ Danzarín(1958)
タンゴに魅せられし文豪たち
♪ 文豪とアルケミスト ほか予定
花の都パリの社交界にタンゴ旋風が吹き荒れ、名優ヴァレンチノのダンスが銀幕に輝いた大正以降、活動写真や蓄音器、カフヱーやダンスホールなどで、異国ロマン溢れるタンゴが花開き、錚々たる文豪たちをも虜にしました。
大正初めには、森鷗外が世界最新ニュース連載『水のあなたより』で海外タンゴ熱を報じ、夏目漱石晩年に編まれた『金剛草』巻末広告の英和辞典には tango が新語として紹介されています。
昭和に入り、芥川龍之介はダンスホールへいざなわれて谷崎潤一郎の踊るタンゴ(社交ダンス)を見つめ、中島敦はキャバレーの窓から漏れるタンゴに耳をすまし、太宰治は酒場で和製タンゴの流行歌を唱う……。文豪文士とタンゴの意外な出逢いと交流が繰り広げられていました。
出演者
1930年代頃にドイツで製作された蛇腹楽器【バンドネオン】の銘器をはじめ、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス、ピアノなど彩り溢れるアンサンブルでお贈りします。
みどころ
100年前の大正13年(1924)初夏、花咲く松戸の丘を訪れた歌人・与謝野晶子(よさの あきこ、1878-1942)。
松戸の画家・板倉鼎(いたくら かなえ)と文化学院(大正10年設立)の教え子にして生粋のモダンガール・昇須美子(のぼり すみこ)の媒酌人を務める前年のこの年、松戸の園芸学校(現・千葉大学園芸学部)の花園に遊んで数多の短歌を詠み、翌年、歌集『瑠璃光』を刊行。同歌集には、タンゴを詠んだ一首があります。
「うすものはタンゴを踊る細腰(さいよう)に薔薇は眞白きたなぞこに見ん」(与謝野晶子)
※うすもの(薄物)・・・夏用の薄い衣。
※たなぞこ(手底/掌)・・・手のひら。
文学とタンゴの出逢いを紐解きながら、名曲の花園へいざないます。
▼松戸の丘の与謝野晶子歌碑
◎うすものの女の友を待ちえたる
松戸の丘のひなげしの花
◎丘の上雲母(きらら)の色の江戸川の
見ゆるあたりの一むらの罌粟(けし)
▼与謝野晶子 第20歌集
『瑠璃光』大正14年(1925)1月
https://dl.ndl.go.jp/pid/1016761/1/3
▼松戸の丘〜与謝野晶子の訪れた園芸学校〜(写真で見る千葉大学松戸キャンパスの歴史)
https://www.h.chiba-u.jp/outline/history/history_photo/index.html
《口絵紹介》
写真①=「【ダンスホール】アコーデオンの旋律、タンゴのステップ………」『写真実技大講座』(1937)
※AIによる自動カラー化
写真②=与謝野晶子「富士見町[千代田区]に住める頃[1915-1923]の著者」全集第12巻所収
写真③=与謝野晶子「松戸の丘の雛罌粟(ひなげし)の畑」全集第5巻所収
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~文学とタンゴの出逢い(抜粋)~
【與謝野晶子】『瑠璃光』
うすものはタンゴを踊る細腰(さいよう)に薔薇は眞白きたなぞこに見ん
【宮沢賢治】『春と修羅 第二集』
夜ぞらにふるふビオロンと銅鑼(中略)高田正夫はその一党と、紙の服着てタンゴを踊る
【中島敦】『踊り子の歌』
亞爾然丁(あるぜんちん)のタンゴなるらしキャヷレエの窓より洩るるこの小夜更(さよふ)けに
【萩原朔太郎】『草稿詩篇 斷片』
TANGO おどれ、広間の壁は眞鍮張りだ、みつめる酒場の床に砒素の粉末を光らす(中略)精霊電氣の淺草だ
【織田作之助】『それでも私は行く』
先斗町の芸者でダンスを知らない者はない。(中略)曲はタンゴ「クンパルシータ」
【芥川龍之介】『芥川龍之介の囘想』(小穴隆一)
ヴァレンチノの「熱砂の舞」を見た。芥川は「かうやつて死んだ者がまだ動いてゐるのをみてると妙な氣がするねえ」
【堀辰雄】『天使にからかふ』
私は、その憑かれたやうなタンゴの踊り子達に、はげしい拍手を浴びせたいのを、一生懸命に我慢してゐた
【菊池寛】『結婚二重奏』
「これがタンゴの踊り方よ。ねえ、ねえ、これからときどきダンスに行つてもいい。あなた、一緒にいらつしやらない?」
【谷崎潤一郎】『友田と松永の話』
「君は我が輩のタンゴを見たか?」(中略)男は女のかぼそい胴を、背中へ手をかけてしつかりと抱く
【堀口大學】『季節と詩心』
パンパスを見た人でないとタンゴの曲の中からにじみ出してくる(中略)身にしむ節のまことの味は解りません
【川端康成】『淺草紅團』
アクロバチック・タンゴ(中略)踊子達は舞台の袖で、乳房を出して衣裳替えする程、あわただしい暗転だ
【三島由紀夫】『鍵のかかる部屋』
學生時代のをわりに(中略)一週間で、フォックストロットとタンゴを習つた。そこで町の踊り場へ出かけて行つた
【永井荷風】『踊子』
タンゴそのままに半身をぐつと反らせて(中略)兩手の指と指とは時計の齒車のやうに深く組み合はされて離れません
【夢野久作】『少女地獄』
私はダンスは新米ではあるが自信は相当ある。ジャズ、タンゴ、(中略)何でも御座れの横浜仕込みだ
【岡本かの子】『ドーヴィル物語』
女は馴染みのタンゴ楽手のアルゼンチン人や友達の遊び女達の出入する度に挨拶の代りに舌を出したりした
【林芙美子】『シベリヤの三等列車』
タンゴなぞは禁止されているといっても走っている汽車の中です。(中略)皆の顔が生き生きして来ます
【島崎藤村】『巡礼』
世界に名高いタンゴの踊り場なぞも(中略)一般に夜深しすることを楽しむという風だ
【横光利一】『旅愁』
カフェー・トウリオンフは凱旋門から下って来た左手にある(中略)楽士たちのタンゴが始まり出した
【坪内逍遥】『ある富豪の夢』
伊太利相撲も、タンゴ踊りも、もうお珍しくはないでせう?
【大岡昇平】『disques』
ガルデルが「毀れたバンドネオン」(中略)をギター伴奏で唄っている。この人のいつもの持味が出ている
【埴谷雄高】『古い映画手帖』
ヴァレンチノが『黙示録の四騎士』に登場してきたとき(中略)アルゼンチン・タンゴを流行させ(中略)激しい波はわが国をもまた襲ってきた
【渡辺温】『シルクハット』
独逸麦酒をしこたま飲んだあとで、アルゼンチンタンゴを怪しげな身振りで踊っていた
【徳田秋聲】『和解』
ドクトルは(中略)ダンスの研究にも熱心で(中略)屡々豊富なタンゴの新しいステツプを踏んで見せてゐた
【室生犀星】『海谷たつ子』
マンペイ・ホテルでダンスの禁止にならない前、一緒にタンゴか何かを踊ったことがあった
【北原白秋】『眞珠抄』
冷たきものは蛇の舌、タンゴ踊の眼の光 執念の白蛇死んだ女王の陰(ほと)に入る、といの
【森鷗外】『水のあなたより』
"Tango" パリイのアカデミイで(中略)タンゴの辯護演説
【高橋新吉】『ダダイスト新吉の詩』
それからめしやへ行つた。/黙示錄の四騎士のタンゴ踊りが好かつた丈だ。/彼等は魚賈になるが好い。
【坂口安吾】『金錢無情』
入りみだれて、大陽気、ダンスホールと変じ、倉田博文の浪花節によつてタンゴを踊つてゐる
【石川達三】『最近南米往来記』
タンゴ踊れば音につまされて/人のかいなで涙ふく/返事待とうか口切り出そうか/くれたマテ茶の湯がヌルい
【井上靖】『三ノ宮炎上』
チャナは本名田越トシエというのだが、チャイナタンゴがうまいので、チャナ、チャナと呼ばれていた
【吉川英治】『あるぷす大将』
きのう汽車ん中で見た新聞によると、ジャズはもう下火で、流行はタンゴだそうだ
【大佛次郎】『夜の眞珠』
タンゴの優雅な曲について、レナの背中がしなやかに形のいい姿勢を床に描いた
【遠藤周作】『アデンまで』
だれかがレコードをふたたび、かけた。しらけた一同の気持をゆさぶろうとした。タンゴである。「おどりましょうよ」
【安岡章太郎】『ああいえばこういう』
喫茶店というと、私は昭和十年代の神田の裏通りを憶い出す。(中略)タンゴでは『ラ・クンパルシータ』
【澁澤龍彦】『狐のだんぶくろ』
私は「ラ・クンパルシータ」や「奥様お手をどうぞ」でタンゴのステップをおぼえたのである
【大江健三郎】『個人的な体験』
火見子は他の局のボタンを押す、そこではポピュラー音楽をやっている。タンゴだ(中略)鳥(バード)たちは時間にめぐりあうことができない
【中上健次】『千年の愉楽』
蓄音機でタンゴを聴いていると(中略)むずむずと血がさわぎ(中略)路地の風景がブェノスアイレスの町並みのよう
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ほか、公式X(旧Twitter)で「#文豪とタンゴ」渉猟中(https://x.com/uot_tokyo )