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プログラム
【第19回 横浜山手芸術祭参加】
~ 芥川龍之介没後99年 × 谷崎潤一郎生誕140年 ~
「横浜の山手を歩いて行った。この辺の荒廃は震災当時とほとんど変わっていなかった。…ある家の崩れた跡には蓋をあけた弓なりのピアノさえ、なかば壁にひしがれたまま、つややかに鍵盤を濡らしていた…」
(芥川龍之介「ピアノ」1925年)
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「横浜の27番館…『トム、トム、キャザリンとタンゴを踊ってごらんよ。』そう言ったのはフローラであった。そして彼女はピアノに向かって、もうその曲を弾き出していた。…『タンゴか、よかろう! おいK君、君は我が輩のタンゴを見たか?』…私は実は、タンゴなどというものは、活動写真で見るほかは西洋人のも見たことはない。…男は女のかぼそい胴を、背中へ手をかけてしっかりと抱く…二人はちょうど縫い合わされた衣のよう…」
(谷崎潤一郎「友田と松永の話」『主婦之友』1926年1〜5月)
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<口絵紹介>
◆写真①=蓄音器、ダンスが大衆化した大正昭和(イメージ)
◆写真②=オルケスタ編成での演奏 ※今回の会場とは異なります
◆写真③=アンセルモ・アイエタ楽団
◆写真④=活動写真のなかのタンゴ
◆写真⑤=芥川龍之介(1892-1927)
◆写真⑥=谷崎潤一郎(1886-1965)
◆写真⑦=中島敦(1909-1942)
◆写真⑧=古絵葉書の横浜(元町通り)
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<ベーリック・ホール関連 略年譜>
明治31年(1898) 英国商人ベリック来日
大正12年(1923) 関東大震災、横浜壊滅
昭和 5年(1930) ベリック邸竣工
昭和 8年(1933) 国際連盟 脱退
昭和12年(1937) 日中戦争 勃発
昭和14年(1939) 第二次世界大戦 勃発
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戦後、カトリック・マリア会に寄贈後
インターナショナルスクール寄宿舎に
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昭和40年代頃〜 マンション開発の波
昭和60年代頃〜 市の洋館群保存対策
平成14年(2002) 旧ベリック邸一般公開
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♫ 心踊る蓄音器、花開くダンスホール
「La Cumparsita」(c.1917)
♫ 戦前の名盤、耳で愉しむ台風
「El Huracán」(1932)
♫ 自由を求めて、新時代の幕開け
「Libertango」(1974)ほか予定
<プロローグ>
黒船来航~開港後、外国船が行き交い、舶来文化が花開いた港町・横浜。
パリの社交界にタンゴ旋風が吹き荒れ、名優ヴァレンチノの踊るタンゴが銀幕に輝いた時代、横浜を闊歩した文士たちも、活動写真や蓄音器、カフェーやダンスホール、はたまたチャブ屋で、異国ロマン溢れるタンゴに酔い痴れていました。
100年前、芥川龍之介はタンゴで名を馳せたヴァレンチノの遺作を横浜で見物し、谷崎潤一郎は山手の洋館を舞台にタンゴを描き出し、中島敦はキャバレーの窓から漏れるタンゴに耳をすます――在りし日の横浜に、タンゴの響きから想いを馳せてはいかがでしょうか......
幕末〜明治に外国人居留地として造成された山手の丘は、海を見下ろす風光明媚な土地柄に恵まれ、英国の貿易商の大豪邸ベーリック・ホールをはじめ、外国人が暮らした貴重な洋館群が保存されています。催しの前後に、異国情緒あふれる洋館巡りもご随意にお愉しみください。
出演者
ピアソラも愛した銘器──
1930年代ドイツ製バンドネオン「AA」(ドブレアー)をはじめ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノ、クラリネットの10数名(予定)の編成でお贈りします。
みどころ
戦前の現存する山手外国人住宅の中では最大規模──
ベーリック・ホールは、イギリス人貿易商B.R.ベリックの邸宅として、昭和5年(1930)にアメリカ人建築家J.H.モーガンによって設計されました。往時は内外の賓客を招いてダンスパーティーも催されたといいます。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31年(1956)にカトリック・マリア会に寄贈されました。その後、平成12年(2000)まで、インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されました。スパニッシュスタイルを基調とし、多彩な装飾が施された建物は、建築学的にも貴重で必見です。
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■芥川龍之介(1892-1927)は、100年前の大正15年(1926)の冬、親友とともに横浜に出かけ、活動写真を見物します(ヴァレンチノの遺作『熱砂の舞』)。ヴァレンチノは出世作『黙示録の四騎士』(1921)でタンゴを踊り、世界を熱狂させた銀幕の大スター。日本でもタンゴが人口に膾炙するきっかけとなった時代の寵児でした。明くる昭和2年(1927)、芥川は文学論争を交わしていた谷崎潤一郎と大阪のダンスホール(カフェ)「ユニオン」を訪れ、谷崎と根津松子(後の妻)の踊るタンゴを壁際からじっと見つめていました。
■谷崎潤一郎(1886-1965)は、現ベーリック・ホールの裏手に撮影所を抱えていた映画会社(大正活映)で脚本家を務め、大正10年(1921)から関東大震災(1923)まで横浜の本牧と山手に暮らし、ダンスや美食を嗜みました。
「あたし、西洋人のいる街で、西洋館に住まいたいの…」
「そんな家が東京にあるかね?」
「東京にはないけれど、横浜にはあるわよ。横浜の山手にそういう借家がちょうど一軒空いているのよ…」
…ナオミは最初からそうする積もりで、計画を立てて、私を釣っていたのでした。
(谷崎潤一郎『痴人の愛』1924-1925年)
「私の経験から言うのであるが、以前横浜の山手に住んでいて、日夕居留地の外人等と行楽を共にし、彼らの出入りする宴会場や舞踏場へ遊びに行っていた…」
(谷崎潤一郎『陰翳礼讃』1933年)
震災で神戸へ避難した谷崎が横浜時代の総決算として発表した『痴人の愛』(1925)には、ダンスホールに集うモボ・モガの生態が映し出されています。また、江戸川乱歩も絶賛した谷崎の探偵小説『友田と松永の話』(1926)には、横浜山手の洋館を舞台に、洋装のモダンボーイが異国の女性とタンゴを踊るシーンが象徴的に描かれています。光と翳を帯びたタンゴとともに、ある人物の失踪を巡り、驚くべき真相が明らかになります。
■中島敦(1909-1942)は、昭和8年(1933)、元町にあった横浜高等女学校の教員となり、昭和16年(1941)に南洋庁職員としてパラオに赴任するまでの8年間を横浜で過ごしました。山手一帯はお気に入りの散歩道で、短歌にも詠んでいます。『踊り子の歌』からは、夜更けの港町で、キャバレーの窓から漏れるアルゼンチン・タンゴに耳をすます姿が浮かび上がります。
「亞爾然丁(あるぜんちん)のタンゴなるらしキャヷレエの窓より洩るるこの小夜更(さよふ)けに」
(中島敦『踊り子の歌』)
およそ100年前、大正昭和の文豪文士たちも心酔したタンゴの魅力を、知られざるトリビアも交えながらご堪能いただきます。
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大衆文化が花開いた戦間期、人々の娯楽の一つが蓄音器でした。世界一流の音楽家があなたの家のお茶の間へ──そんな触れ込みとともに一般家庭にも広まり、人気を博しました。
当時はまだ、片面ごとに1曲しか再生できないSPレコードの時代。針を替え、ゼンマイを巻き、盤面を擦り減らし、ようやく流れる音色に束の間ながら酔いしれました。さらに、レコードは手軽にダンスを愉しむことを可能にした画期的な発明品でもありました。
「私は黙って、その給仕に案内されて広やかなコルク張の階段を昇って行ったが、登って行くにつれて、階中に満ち満ちている高潮したレコードと舞踏のザワメキに気が付いた。私はダンスは新米ではあるが自信は相当ある。ジャズ、タンゴ、…何でも御座れの横浜仕込みだ」
(夢野久作『少女地獄』1936年)
大戦下、敵対する米英のジャズなどが〈敵性音楽〉として排斥されるなか、渇いた人心を潤した一つがタンゴでした。後に凄絶な従軍体験をもとに戦争文学を記した大岡昇平(『俘虜記』『野火』『レイテ戦記』ほか)らも、召集前、タンゴの名演名唄をレコードで楽しんでいました。
「カルロス・ガルデルが『毀れたバンドネオン』と『象牙のマスコット』をギター伴奏で唄っている。この人のいつもの持味が出ている」
(大岡昇平『ディスク』1941年6月号)
蟲喰まれた本を紐解きつつ、時代を彩ったタンゴの名曲にのせて、洋館の見つめた約100年の歴史を辿ります。
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~文学とタンゴの出会い(横浜篇)~
【芥川龍之介】小穴隆一『芥川龍之介の囘想』
大正十五年の冬(中略)横濱に行つてオデオン座であつたらう、ヴァレンチノの「熱砂の舞」を見た。芥川は「かうやつて死んだ者がまだ動いてゐるのをみてると妙な氣がするねえ」
【谷崎潤一郎】『友田と松永の話』
横濱の二十七番館(中略)「君は我が輩のタンゴを見たか?」(中略)男は女のかぼそい胴を、背中へ手をかけてしつかりと抱く(中略)二人はちやうど縫ひ合された衣のやう
【中島敦】『踊り子の歌』
亞爾然丁(あるぜんちん)のタンゴなるらしキャヷレエの窓より洩るるこの小夜更(さよふ)けに
【夢野久作】『少女地獄』
私はダンスは新米ではあるが自信は相当ある。ジャズ、タンゴ、(中略)何でも御座れの横浜仕込みだ
【渡辺温】『ああ華族様だよ と私は嘘を吐くのであった』
横浜へ遊びに出かけ(中略)エトワールと云うホテルに入った。(中略)『サーシャ、タンゴ――』と、その女は直ぐに男の体に絡みついた。
【大佛次郎】『夜の眞珠』
タンゴの優雅な曲について、レナの背中がしなやかに形のいい姿勢を床に描いた
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